2026.3.2(月)|大石 湧斗(おおいしゆうと)
気づけば社長日誌も10日目になっていた。
一瞬だった。Vol.1で「社長日誌を始める」と書いたのがつい昨日のことのように感じる。毎日書いてきて、毎日自分の思考と向き合ってきた。10日間で見える景色がだいぶ変わった気がする。
今日は10日記念ということで、少し趣向を変えて、僕の今までの人生を振り返ってみようと思う。大袈裟なことは言わない。リアルに書く。地味かもしれないけど、これが現実だ。
幼少期——自由に育ててもらった
僕は静岡県沼津市生まれ。
幼少期からとにかく人と関わるのが好きだった。いつも周りには友達がいて、たくさんの人に囲まれていた。幼稚園の頃からみんなを引っ張って率先して行動していた。当時の先生は大変だったと思うけど、自由に育ててくれた周りには今でもとても感謝している。
ただ、自由にやらせてもらっていた分、責任は自分で取れという教育だった。友達と喧嘩して相手の親が家まで来たとき、僕の親は「子供の喧嘩に首突っ込むな。自分で解決しろ」と。自由にやっていいけど、何かあったら自分で対処しろ。この感覚は、今の経営にもつながっていると思う。
小学生——株式会社を「立ち上げた」少年
小学生のときはサッカーに打ち込んでいた。一緒にやっていた子が今プロになっていたりして、かなり本気のチームだった。悔しい思いもたくさんした。居残り練習していじめられたけど、見返してやった。日々戦っていた。
学校では面白いことが好きで、僕が「右」と言ったらみんな右に来てくれるような、そういうポジションにいた。当時の先生と今でも飲みに行くんだけど、「大石を敵にしないよう神経使いながら接してた」と笑いながら言われる。
そして小学生のくせに、学校内で「株式会社GOGO+(ゴーゴープラス)」とか「DX株式会社」を立ち上げて運営していた。DX毛玉というキャラクターを作ってカードにして配ったりもしていた。みんなが楽しくなるように、エンターテインメントの道をすでに歩いていたのかもしれない。
ゲームも強かったし、勉強もスポーツも人並みにはできていた。小学生だから、そういう奴はモテる。でも正直、身体的なコンプレックスがあったから、女の子と遊ぶことは滅多になかった。純粋にスポーツという勝負の世界と、学校というエンターテインメントの場を極めていた。
あとひとつ、忘れられないのが空き地のこと。実家がホテル街にあって、道で遊んでいても車に轢かれそうになることばかりだった。だから空き地を見つけると秘密基地ごっこをしたり、「ここに遊園地があったら面白いだろうな」「公園があったらいいのに」といつも妄想していた。何もない場所に何かを作りたいという気持ちは、たぶんあの頃から始まっていたんだと思う。
中学——生徒会長と、給食の心残り
中学では生徒会長をやった。成績がすごく良かったわけじゃない。でも、人ってこういう状況でこういうことを言ったら動いてくれるとか、こうすれば周りがこっちに向くとか、そういうことを幼少期からなんとなく会得していた。みんなには馬鹿だと思われていたかもしれないけど、しっかり考えて線引きはしていた。
生徒会長のときは、街の祭りの後の清掃活動を立ち上げて新聞に載った。当時の優秀な仲間に囲まれて、そこそこ活躍できていたと思う。
ただ、中学の心残りがひとつある。給食の投票制度だ。毎月1回、投票で一番人気だった好きな給食を食べられるようにするという制度を作ろうとしたんだけど、給食の業者が変わってしまって実現できなかった。あれは悔しかった。
当時のサッカーのクラブチームのコーチとは今でもLINEをしている。サッカーだけじゃなく、哲学、人生観、生き方を叩き込んでもらった。サッカー以外にも多くのことを教わったので、今でも感謝している。ASEANドリームカップに出場して、プロコースに乗っかれていた時期もあった。
高校——サッカーの頂点と挫折
藤枝東を受験して、初めての受験で落ちた。人生初の受験失敗。でもそこで終わらなかった。藤枝東に並んで勝ちたいから藤枝明誠を選んだ。
地元を離れて、環境がまるで変わった。正直、対応できていなかった。勉強も一気に難しくなり、サッカーも一気にレベルが上がった。サッカー三昧の日々。最初はトップチームにいたけど、一回のミスから調子を崩した。8軍まであるようなチームだから、替えはいくらでもいる。
その日調子がいいだけでは評価されない。頑張りすぎてもパフォーマンスを発揮できない。体調が最悪でも、その日出した成果が自分の能力の全て。
厳しさを知った。
次第に「大石は終わった」「あいつ下手になったよな」と雑音が聞こえてくるようになった。悔しかった。コロナでみんなが怠けている時期に、冗談なしに毎日20キロ走って、砂浜ダッシュして、筋トレして、技術を磨いた。死ぬほど努力した。
それが実った。コロナ明け、みんなとの実力差が出て2軍まで昇格した。そしてある試合の前にコーチから言われた。
「この試合で活躍したら、明日のトップチームの試合に推薦する」
その試合、3点中3点に絡んだ。1得点、2アシスト。チームメイトからも「大石は明日試合に行くな」と言われた。胸が高鳴った。
しかし翌日、呼ばれることはなかった。
コーチに直談判しに行った。いつもの選手が2〜3人選ばれていた。コーチは言った。「大石ごめんな。お前は上がってきたばかりだから、様子見ようと思って。また機会があったら推薦するから頑張れ」
僕はその瞬間、ぷつっと糸が切れた。
「おもんな」
冷めた。今までの熱が、一瞬で受験という方向に切り替わった。
受験——18時間の勉強と、それでも落ちた現実
受験まで半年もなかった。言い訳はしない。頑張ろう。
それからほぼ学校に行かなくなった。サッカーの朝練だけ行って基本帰宅。わからないことがあったら塾のように学校に行くスタイル。みんなと話している時間ももったいないし、全てを振り切らないと志望する青山学院大学には到底受からない場所に僕はいた。
中央大学の推薦が余っていて、それを取る選択肢もあった。でも当時の僕は、自分で何かを掴みたいという意志に駆られていた。推薦の話は聞かずに、家に引きこもってひたすら勉強した。1日18時間。
でも結果、大学は落ちた。全てをかけたけど、落ちた。
滑り止めで受かった拓殖大学に行った。
大学——何者かになりたかった
僕は拓殖大学に行って良かったと思っている。
サッカーをあきらめて、何者かになりたかった。受験に失敗した日から起業を考えた。思えば小学校のときのあだ名は「社長」。何かやるたびにリーダーだった僕には、必然だったのかもしれない。
バイトは結婚式場。しかも東京タワーの目の前、「THE PLACE OF TOKYO」。たまたまそこは平日に経営者のパーティーや宴会イベントをやっていたので、僕が目指す人たちがすぐそこにいた。
大学に入ってすぐ、SNSでサッカーを教えて少ないけど収益を立てた。兄と一緒にダイエット発信をして、ダイエット事業を始めた。これが僕の事業の始まりだ。SNS事業をやりながらバイトで生計を立てて、バイト先でこっそり経営者に自分のプレゼンをして、インターンを獲得した。大学1年のとき。
その会社が株式会社TAIAN。
人生初のインターンで、実践しながら彼らの輝かしい空気を吸収して育った。TAIANの初代インターン生。ここでの経験が、今の自分の土台になっている。
どん底
そこから本格的に事業に没頭した。キャンプ場を作ろうと乗り出したが、失敗。行政と住民の板挟みにあって、遠い親戚の土地を活用できなかった。迷惑もかけた。
事故もした。借金した。親に返済してもらった。(その後死ぬ気で返したけど)
また、詐欺に遭って騙された。うまくいかない。どん底だった。
そのとき、父が言った。
「お前は世間に放り出せない。俺のとこ来い」
父は経営者ではないが会社を踏ん張って支えている、億単位の仕事を動かしている人間だ。でも現場に入ると、解体作業でトイレを解体するときにうんこが飛び散る。それを拾いながら父は言った。
「ウンコの重みを知れ」
「俺は数億と動かしているが、やっていることはこれだ。目の前の一円を稼ぐ奴が、結果億になる」
僕はその言葉と感情を、飛び散るうんこを拾いながら涙ながらに記憶に刻んだ。今でも大切にしている。
それが今の僕の原点かもしれない。うんこが原点なんて少しダサいけど笑
泥臭く、前に進んだ
そこから勉強を、大学を、学びを、人生を馬鹿にすることをやめた。
「意識高い系」だと馬鹿にされようと、「怪しいことやってる」と陰口を叩かれようと、自分に矢印を向けて努力し続けた。
夜間はウーバーイーツの配達員と居酒屋のバイト。朝は大学。昼は事業。また夜。必死に、必死に。
兄と渋谷に住んだりして、面白いこともできるようになるまでかなり時間がかかった。でも努力が報われるこの世界にどっぷりハマった。
自分がやった分だけ返ってくるこの世の中が、僕は大好きだ。
関わる人全てが笑顔になるように設計して、価値を提供する。「ありがとう」がお金という対価で返ってくる。非常に楽しい。でもこの世界の裏側は、こんな感じの泥臭さだ。
そして今
そこから法人化して今に至る。今に至るまでも壮絶だったけど、語りすぎると時間が過ぎ去る一方なので、ここから先の話はまたの機会にしよう。
ひとつだけ、現実を記しておく。
創業メンバーは、今の会社に僕以外誰一人もいない。
その現実だけ、ここに置いておく。
10日目の今
Vol.4で書いた「初期創業メンバーがいなくなった孤独」も、Vol.6で書いた「経営者は孤独だから強くなれる」も、Vol.7で感動した大田社長の90年も——全部、この22年間の延長線上にある。
振り返ってみると、僕の人生はずっと「何かに全力でぶつかって、折れて、また立ち上がる」の繰り返しだった。サッカーで折れた。受験で折れた。事業で折れた。人が離れて折れた。でもそのたびに、何かが残った。
まだまだ道半ばだ。22歳で、法人2期目で、偉そうなことは何も言えない。
まだまだ挑戦、挑戦、挑戦。成長、成長、成長。
この泥臭さの先に、Vol.7で誓った「10年後の自分」がいると信じている。
株式会社Milestone(マイルストーン) 代表取締役 大石 湧斗(おおいしゆうと) 社長日誌 Vol.10「22年間の泥臭さ」
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